おどらにゃそんそん

好きなものを摂取しながら楽しく生きたい 異論反論は程々に聞きます

PRINCE OF LEGENDの「王子」観メディア比較〜"宝塚化"するということ

これはPRINCE OF LEGENDという作品の、ドラマ版と無印劇場版を、「成瀬果音という少女の物語」として、公開当時から6年ほど愛してやまないヅカオタが、ヅカレジェを複数回見たあとに練った妄言です。プリロワ未経験の片手落ちファンなのでプリロワガチ勢で特に原作側の指摘で追記等があれば歓迎いたします。(お手柔らかにしてくれると嬉しいです)

 

PRINCE OF LEGENDの劇場版と宝塚歌劇版、双方のネタバレを含みますので自己責任でお読みください。また、「男の」「女の」と決めつけるところがありますが、あくまでPRINCE OF LEGEND自体がその二項対立をベースにしているところがあるのであえて強調している、というところだけは先に言い訳させてください。

 

宝塚版とドラマ版の展開の差異

 

今回、PRINCE OF LEGENDの「宝塚歌劇化」として、ドラマ版と宝塚版での差はいくつもあるが、プリンセス、特に玄武高専王子研究部と伝説の王子選手権後の展開の差は大きいなと思っている。

 

「伝説の王子活動」とラストのセリフの違い〜「王子」は良いものか悪いものか

 

ドラマ版では、伝説の王子選手権当日にそのままひっそりと戴冠の儀を終え(成瀬華音に伝説の王子になったよ、と伝えるシーンでは奏は王冠を持っている)、その後伝説の王子活動で疲弊するシーンがある。これは「男の妄想、押し付けるのやめてもらいますか」という成瀬果音のセリフが象徴していた”妄想”を、女たちが「伝説の王子」に押し付けているシーンだ。これまでコミカルに成瀬果音が切りまくっていた”好意の妄想の押し付け”が受ける側としてはグロテスクで疲弊するもの、というのが表現されていたと思う。「伝説の王子」という肩書の実態が、王子自身からは良くないものとして扱われる。そもそも実は王子選手権自体がわりと「冗談で言っているのか?」と劇中で言われるようなシロモノでもある。

 

映画の最後には奏が運命について語っているのだが、まず果音に会いに走っているときのモノローグで「もう運命なんてどうでもいい」と入る。その後果音に「(神様が決めた巡り合わせである運命は)でも間違ってた。君は理想の女性とは真逆で、神様が選ぶはずのない相手だ」、と言い放つ。そして果音と「運命は、僕たちが決めよう」と"神様が決めた運命の女性ではない成瀬果音"に愛を伝えるのだ。そもそも「神様が決めためぐり合わせ」の根底に流れるものとは何か。それは奏の母親が「あなたは理想の王子として生きて、運命のプリンセスと出会って結ばれるのよ」という教育なのである。だからこそ、奏はラストで運命を否定する必要があった。原作版PRINCE OF LEGENDは親離れの物語なのだ。

 

しかしヅカレジェでは王子選手権と戴冠式は別日に行われる。戴冠式はフィナーレであり奏の「伝説の王子」活動は描かれない。

 

また、ヅカレジェ版の戴冠式最後の奏と果音のデュエットの歌詞は、劇冒頭の出会いで出た「(決めつけとしての)君は運命のプリンセス」「(罵りとしての)あなたはお花畑のプリンス」のリプライズだ。しかし前半とは違って奏と果音はちゃんとお互いをさらけ出した上でそれを歌い上げるのだ。

 

この時間軸とラストのセリフの改変はどうして起こったのか。それは「十代目伝説の王子」としての活動は30分後に「宙組十代目トップスター」として、「伝説の王子活動」によく似た活動をするからだと考えている。そう、第二幕のBAYSIDE STAR、タカラジェンヌが芸名で行うショーである。

 

宝塚のトップコンビいうのは、ほぼほぼどんな演目であっても恋に落ちる「運命」である。主な出演者が「桜木みなと」「春乃さくら」の時点で、結ばれる運命は確約されているのだ。「桜木みなと」にとって「春乃さくら」は「運命のプリンセス」なのはただの事実なのである。

 

「お花畑のプリンス」についても見ていきたい。花はきれいで素敵なもの。花畑なんていったらとてもきらきらした光景だ。「お花畑のプリンス」は実は外から見るとキラキラとした存在なのだ。しかもそのプリンスは桜木みなと!そりゃあもう素敵な光景なわけだ!

 

ここまで書いてようやく気がついたが、「頭の中がお花畑」なのはきっと「宝塚歌劇という世界」なのである。「お花畑」は「頭の中、お花畑なんですか?」「男の妄想、押し付けるのやめてくれますか」で畳み掛けられる言葉で、「お花畑」と「妄想の押し付け」はわりとセットで語ってもいいだろう。奏の頭がお花畑だからこそ「王子として果音にプリンセスの妄想を押し付ける」ことを否定する。

 

しかし、宝塚版のラストシーンでは、同じワーディングが肯定の文脈でも歌われる。なぜなら今作が「宝塚歌劇の演目」であり、「宝塚歌劇版の十代目伝説の王子」は「タカラジェンヌが演じている」ものなのだ。そもそも宝塚歌劇団とは、見目麗しい高身長の女性たちが”理想の男性像”を目指し日々努力と研究を重ね、「女の妄想の王子様」を本当に体現しようとさせている、そういった極めて稀有な場所であるという側面がある。「王子」を演じているタカラジェンヌの男役たちも”理想の男性像”である男役に美学をもってやっていて、観客もそれを求めている。そんな場所で「妄想の王子様」を自体を否定することは宝塚歌劇自体を否定することにつながるのだ。もちろん批判的な姿勢としてそういったことを行なう演目があってもいいとは思うが、ヅカレジェはそうではなく、「妄想の王子様」の存在を、改めて肯定する形で終わるのである。夢を見せ続けていこうという姿勢で終わるのだ。

逆にいうと、原作の理想の王子と運命のプリンセスを降りて人と人として恋を始めよう、のロジックは取りづらい、とも言えるだろう。

 

なので、ラストに歌い上げる「君は運命のプリンセス」「あなたはお花畑のプリンス」という歌詞はとても宝塚的なワーディングとして再解釈されているのではなかろうか。原作でも象徴的だったワードである「頭の中、お花畑なんですか?」を肯定で使うのはさすがにお上手すぎるよ……!

 

今どきの推し活、「玄武高専王子研究部」と私たち

 

さらに上乗せされているのが玄武高専王子研究部という存在だ。ドラマ版では物語に強くかかわる女性は、成瀬果音以外には奏と尊人の母くらいである。しかし宝塚化するにあたり、組の半分は娘役なので、じゃあ出番をどうするの?となったときに生み出されたのがTeamプリンセスではないかとは思っている。なかでもとりわけ玄武高専王子研究部は今どきの「推し活」でつながっている、多分高専の中ではマイノリティな女子生徒の集団だ。(大変余談だが「竜くんは子犬じゃん?」は過去に自分が言った覚えありすぎたので大変恥ずかしかった)

 

「推しは推せる時に推せ!」「推しに恋しちゃ、ダメですか!?」を明るく元気に言い放ち、力強く肯定していく小日向理々花を筆頭に、彼女たちは「推し活」「リア恋」を元気に楽しく行っているのだ。そんな彼女たちに”推される側”の京極兄弟も、そんな彼女たちの強すぎる愛を優しく受けとめている。

 

それはきっとタカラジェンヌとファンの、ファン側から見た”妄想的な理想の状態”と近いのではないかと思っている。退団挨拶でたびたび語られる「応援してくださったファンの皆様」でありたいと思っているファンは多いのではないだろうか(少なくとも私はそうである)。私の好きな人に、私の好意が迷惑でなく、優しくそれなりに受け止めてほしい。そういった関係性を京極兄弟と玄武高専王子研究部が示している。

 

まとめ:「王子」への眼差し〜偶像に夢を見るということ

 

ドラマ版PRINCE OF LEGENDは、「あなたは理想の王子になるのよ」「人から施しは受けない、人に頼らない」という母からの呪い(そしてその呪いの起因はどちらも自分勝手な父である)から子供たちが解放されて、「人間」として真正面から向き合おうというエンドだと思っている。子の成長からの親離れの話でもある。朱雀奏と成瀬果音、双方が「理想の王子」を弔うのである。だから「二人で運命を作っていこう」で締める。

 

一方でヅカレジェは「十代目伝説の王子」の誕生を祝って終わる。「理想の王子様」の否定どころか大肯定で終わるのだ。なぜなら「宝塚」というシステムの中に「理想の王子様」は内包されており、それを求めて人々は熱狂し続けている。「理想の王子様」は素晴らしいものとして存在し、魅了し続けるのだ。また同時に、「理想の王子様」たちを平和に愛で愛する、という行為も受け入れている。「王子への推し活」の肯定を通じて、「ヅカオタ」自体の肯定でもあるのではないか、というのは言い過ぎであろうか。

 

あとがき

 

メディアミックス、というものは、媒体で新しい味や側面が見えるのが醍醐味だと思う。今回、PRINCE OF LEGENDという作品の宝塚歌劇化、として宝塚歌劇でしかできない見事な側面の魅せ方だったのではないか、と原作ファン側として思った次第である。宝塚歌劇ってメタ文脈載せまくるの大好きなので(そもそも三代目伝説の王子はLDHのメタ文脈、十代目伝説の王子も宝塚のメタ文脈なので、どちらのサイドもメタ文脈のエモが大好き、とは言い切っちゃっても大丈夫だろう)、そこからの読み込みでこう展開できるのか……と考えていくことはとても楽しい時間だった。

 

というかここまで書いてやっと劇場版PRINCE OF LEGENDの煽り文句、「胸キュン IS DEAD」が腑に落ちた。そうか、「胸キュン=女子たちのシンデレラ願望(ドラマ版の煽り文句で「女子たちのシンデレラ願望を叶えるプロジェクト」と謳っている)、妄想の王子様への恋」だと仮定したら、劇場版の最後で「王子様を弔」い、「人間同士の現実の恋が始まる」からこそDEADするのか。6年間ずっとDEADどころかものすごい胸キュンで終わってんじゃねぇか……!キャッチフレーズ詐欺だ……!とずっと思っていたけどようやくたどり着けた気がする。正直腑に落ちて今とても感動している。

 

奏のメインナンバーにカノンが入っている話とか成瀬果音の心情は実はヅカレジェのが明示的にわかりやすくしているとか様々な小ネタ解説とかヅカレジェは語りたいことはまだまだある。

 

いやーーー!ヅカレジェ、PRINCE OF LEGENDがお上手すぎる!!!「王子様を大肯定」で終わるの、考えてみたら原作プリレジェと真反対なのに確かに味わいはプリレジェですごすぎ!!!宝塚文脈に乗せすぎ!!!私の大好きなプリレジェの丁寧な眼差し力感じすぎ!!!構造がきっちりしすぎ!!!脚本のこの辺の話、どうやって出てきたのかすごい聞きたいよーーー!!!野口先生と原作サイド、どっちがこの終わり方考えたんだよーーー!!!!見事すぎるよーーー!!!!!

 

本当に、丁寧に丁寧に「宝塚歌劇化」をしてくれて、ありがとうございました。と一原作ファン面をした長文妄言ラブコールでした。

あとヅカレジェだけ知って物語が好きになった人は是非前向きにHuluで無印ドラマ版から無印劇場版を観てください。何気に野口先生の脚本まじでまんまだしうまいこと変えてるなーってわかるしキャラ解釈も深まって楽しいと思います

 

LDH側コンテンツで今後宝塚コラボあった時用に原作者のオタク面するためにもたたら侍BOT履修するか……(?)ところでGHOSTってなんですかね?

 

一方的スペシャルサンクス: はくいネキ はくいネキのプリレジェのツイート大好きほぼはくいネキのツイートベースにただ文章まとめただけと言っても過言ではないです

 

プリロワのプリンセス永久証明書持ちのプリンセスたち 熱量高すぎる原作ファンの考察大好き

 

以上のスペシャルサンクスの人たちの発言を加味しまくって私が練った妄言でした。プリレジェの話しまくれて、とても楽しかったよ。

 

追記 「奏が王子様をやめる」ことと片寄くんのメディア戦略

 

『PRINCE OF LEGEND』評論家対談【後編】 「男の子同士の関係性は全員魅力的」|Real Sound|リアルサウンド 映画部


この記事をまとめたあとにこの対談記事を読んだ。片寄くんについて以下のように表現されている。

> HIROさんが「ブランド価値を上げるために、キラキラものだけじゃない作品にも挑戦していくべき」と語っています。

「王子であり続ける」なら王子選手権で疲弊した姿を描かなかったかもしれない(というか"ファン"とのやりとりを疲弊した姿をメディアとはいえ映すのはなかなかにリスキーな気もする)。しかし片寄くんは「キラキラ以外の挑戦が彼のプラスになる」と言われているので朱雀奏は「王子を降りる」ことができたのかもしれない。逆にいうと、すみれのヴェールに包まれたタカラジェンヌは、卒業の日まで「理想の男性」「妄想の王子様」を降りることは許されないとも言えるなーと感じた次第である。