おどらにゃそんそん

好きなものを摂取しながら楽しく生きたい 異論反論は程々に聞きます

「お前普通だよな」も「お前個性的だよな」も褒め言葉じゃねーからそれ

個性についての話がどうやら盛り上がってるので読んでみた。

だから、もっと“ヘンな人”になろう。 - デマこいてんじゃねえ!
個性は求めて得られるものではない - 24時間残念営業

まず前者のブログの方の「個性」って「能力」の問題だよなーと思う。才能でもない。仕事等々で積み重ねられてきた、「人とは違う」部分の話をまとめて「個性」って言い切るのってどーなのーって感じた。
というかこの人のブログは結局今後の労働市場で生きていくためにはー的な論調になることが多い気がしてあまり得意ではない。今後きっと厳しくなるんだろうけど、そんなことばかり気にしてて楽しくはならないよなぁ、と感じる。私が甘いだけなのかもしれないけれども。

後者の「個性」は、げんしけんの班目部長の「オタクとはなろうと思ってなったもんじゃないからやめることもできない」っていうものじゃないかなと思う。自分の過去の経験から判断して選んできた物事の積み重なりが「個性」になってしまった、だから「個性的」であることをやめることなんてできないというかむしろやめられるなら一回やめた世界も見たい的な。
最後の一文がいいですね。きますね。


そもそも、「個性的でない人間」ってこの世に存在するのでしょうか。

「個性がない人間」、というとぱっと頭に出てきたのは、「人類は衰退しました」の助手さん。今年の秋にアニメ化された、田中ロミオ氏原作のラノベです。

人類は衰退しましたの二巻で、助手さんを主人公のわたしちゃんが迎えに行くという話があるんですが、「迎えに行く方の特徴は…?」と依頼主のおじいさんに尋ねると「なんというか、不確実なんだ。」と答える。
助手さんのいたコミュニティは、助手さんが幼い時に消滅したため、言語を教えてくれる人がいなかった、そのため思考するための言語がない少年。身長体重のデータなど、確かに実在はするけれど、「どんな人」と聞かれると言葉に困る。顔も体型もぼんやりとした印象。(何故かアロハシャツだが)「純然たる無個性」と言われる少年。
「なぜ彼が不明確か」という理由としては「わからない」となっていますが、やはり「言語コミュニケーションができない」というのが大きな理由として語られている。「他者に発信をしない」というのは、「相手に響かない、印象を与えない」と描かれています。

あと、「個性」で思い出されるのは、重松清さんの舞姫通信という小説。女子高で、昔自殺した通称「舞姫」という都市伝説のような存在にまつわるお話。のはず(今ネットであらすじ読んだ)。ずーっと昔に読んだので内容はそんな覚えてないのですが、たしかその小説に、「テストの平均点は69点だった。平均点をとった生徒はいなかった。」という内容の文章があった。
「平均的」な点数は出ているけど、「平均点である」少女は一人もいない。テストの点数ですら。平均なんて、まぁ当たり前ですけど、全員の点数の総合計を人数で割った数でしかない。


「個性」って、「平均的な像」がある中での、その「平均的な像に当てはまらなかった部分」のことなんじゃないかなーと思っています。完全なる平均的な人などいない。型に当てはまり切るスライムなどいない。身長は平均でも、思考がついた時点で、思考の組み合わせの違いで、絶対平均普通の人なんていない、と思います。もちろん、その「平均的な像」との乖離の大小はあるでしょうけどね。

でも、「平均的な像」というのは必要な概念ではある。はじめてコミュニケーションする相手には、いきなり相手がものすごく変な格好や言動をするとは想像しない。ある程度得た社会的な地位とかから、「たぶんこんな感じの人」を想像して出会うと思います。なんの前情報がなくても、「最低でもそれなりの常識をもって話くらいはできる人」を想定するはず。
で、だいたいはコミュニケーションを円滑にしようとしていくのなら、まずは「相手が抱くだろう平均像」に沿った形で言動等をおこなうのではないのでしょうか。skypeとかで知らない相手から「ハァハァエッチなことしよう」とか言われても円滑なコミュニケーションはできません。しません。私は。いや話聞いてみたらおもしろいかもしれませんけどね。
出会った当初は建前である「平均像」に沿ったほうがお互い楽だし、だんだんとその「平均像」に沿わない部分が出てくる。それがその人の「個性」ってやつじゃないでしょーか。

「不確定な彼」も一緒に過ごしていくにつれ、自分の中では「個性的」になっていく。それが個性的ってもんじゃないのかなーと思いました。