おどらにゃそんそん

好きなものを摂取しながら楽しく生きたい 異論反論は程々に聞きます

子供の泣き声に耐えられるのは余裕あるときだけだよー

[ http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121119-00000002-voice-pol /:title:bookmark]
漫画家さかもと未明氏が飛行機の中で子供がわんわん泣きわめいたのに耐えられなくなってJALにクレームつけたって話が炎上してますね。

私も子供の泣き声が苦手だ。嫌いなのかもしれない。
というか好きな人ってそんないないですよね、多分。
でも言えるのは「苦手、嫌いだけど我慢している」人が大多数だということ。

でも、問題は今回のケースのように「耐えられない」と判断したとして、どう行動するかってことかと思う。
といっても、このケースだと「耐えるしかない」なんでしょうねと。

自分のせいじゃないことで自分の快適な生活が阻害されたときに、「耐えられる」っていうのは、心体に余裕がある場合なんだろうなぁと思います。逆に言うと、さかもとさんは余裕無さすぎなんでしょうなぁと思ってしまった。
体調のいいときには気にならないようなノイズって、体調悪かったり落ち込んだりすると一気にうるさく聞こえるんですよね。(こどものギャン泣きはノイズなんてレベルでもなさそうですけどね)

8月くらいに話題になった、「電車内でのベビーカーについてのマナー」問題もおんなじことが言える気がします。
電車内でのベビーカーに対して糾弾がいくのは、「あんなでかいものこんな狭い場所もってくんじゃねーよ」という身体的な余裕の無さに、通勤ストレスで他人に寛容になる余裕場ないからだと思う。

通勤満員ラッシュよりかはマシですが、飛行機って当たり前だけど逃げることができません。それって多分すげーストレス。それこそ子どもいないところに「逃げる」方法がないんですもの。自分のストレスを解消するためにストレスを与えるもとを排除しようというのは当然な「気持ち」ではあるよなーとは思う。
かといってそれが子供を必死にあやすお母さんやCAにクレームつける理由になるとは決して思いませんけれど。
今回のことって、そのストレスを「耐える」ことができなかったのが問題なのかなぁと思います。

あーなんだろうすごく文章がまとまらない。
みんな「我慢」するっていうことはとても自分に「余裕」がなきゃできないことで、でも「我慢」しなきゃならないシーンってあって。
その我慢、がどのくらい続くのか、長く続くことが予測できるならうまくその「我慢」と付き合う方法または「常に我慢できるだけの心の余裕」を持てるよう考えていかなきゃね!あと多分現代ニッポンってすげー「余裕」がないからみんなピリピリギスギスしちゃってるよね!私も気をつけなきゃなー!どう生きればいいのかなー!そんなことが言いたかった気がする!うん、最後の段落だけでいいような気がしてきました。

今回の件とかについては、あとでもっと考えたいなー、あと文章力がなさすぎるのでちょっとずつ身に着けていきたいなーそのためには書くことだよなー。そんなことを思いながらこのエントリ終わり。